農園の歩み

2014年に夫婦二人で移住しました。みかん農家になるべく準備や研修を経て、2015年に経営をスタートしました。農園のある安下庄は、周防大島町に合併前は橘町という町名であったほど柑橘栽培が盛んな町でした。(安下庄ってこんなところ)海沿いで南向き、水はけのよい園地環境に惹かれこの地を選びました。当初は夫のみの計画でしたが、みかんの面白さにとりつかれ妻も1年後には参加し、徐々に農機や倉庫を整備して効率化を進めていきました。2019年頃から、ジュースをつくったり、みかんの木を再利用したアクセサリーのデザインをしたり、新しいことにチャレンジしています。今年は、民泊や農業体験にも力を入れています。



耕さず、草を絶やさず、化学肥料を使わないということ

耕すという行為は、土に空気を含ませるであったり、草の発芽を抑えるであったり、肥料を混ぜるであったり、いろいろな役割があります。みかんも植え替え時だけでなく、栽培中も除草や肥料の混和という意味で耕すことがあります。耕したり、除草剤を使うことで草を絶やした土は、雨降って地固まるという言葉があるように、時間がたつとカチカチに固まってしまいます。固まった土には空気がいきわたらないし、水は表面の土とともにしみこまず低い場所に流れ出します。虫やミミズを探すのも一苦労です。

草を生やす、たったこれだけで土の表面は1年もしないうちに変化します。生命の活動で土が団粒化して手で穴を掘ることができるようになります。土が柔らかいので水がすぐにしみこんでいきます。根や生物の活動痕の空間が作物根に空気を送り込みます。様々な虫が出てきます。ダンゴムシやアリ、クモ、ミミズがすぐそこにいます。虫や目に見えない微生物の活動はすさまじいものがあります。草を刈っても、早くに分解されてなくなります。剪定した枝を畑に落としておくと、夏を越す間にだいたいは分解されてなくなります。畑ではない場所に置いている剪定枝はこうはいきません。

土の中では、草や剪定枝、枯れた草の根などが微生物に分解され、微生物が作物根に栄養を供給するという循環が起こっています。この循環を人の手を加えて少し大きくすることで(有機肥料や草など有機物の投入)、みかんを畑から持ち出したとしても継続的な循環が可能になるのだと考えています。多年作物(何年にもわたり収穫される作物のこと)であるみかんは、長く土とお付き合いします。だからこそ私たちは、耕さず、除草剤を使わず、草を生やすという選択をしています。


農薬の考え方(身近な農薬

農薬は、現代社会の安定には必要不可欠であると思います。農薬や機械の導入により、少人数での農業が可能になり、農村部から都会へ多くの人材を輩出しました。農薬をなくした場合、職業の人口構成も過去に戻らなければ今の社会を支えることは困難になります。

農薬には、人や作物、環境などへ影響を及ぼさないように使用基準があります。使用基準を守って使用した場合には、農作物への残留農薬も人の健康に影響が出ないとされています。 農薬に限らず、すべての物質は生物に対し何らかの影響を及ぼし、その作用が生物にとってマイナスであったときに毒性があると表現します。農薬は正しく使った場合、安全であると表現しても差し支えないと思います。

では、農薬は必要なのかというと、私たちは別の答えに行きつきました。そもそも草を絶やす必要があるのか。そもそも病害虫の痕のない食品をつくる必要があるのか。不要な効果を持つ農薬を使うことは、単なるリスクを増やす行為です。また、安全と思われていた農薬に新たな危険性が見つかるかもしれません。つくりたいみかん、住みたい地域をつくるのに、農薬は慣行ほどは必要ないと考えています。


美しさとは

みかんを植えて、まったく手を加えない場合、あっという間に他の植物に覆われてみかんは枯れてしまいます。そういった意味で、自然のままのみかんは美しくはなりえない。でも、耕され草一つないむき出しの土に生きるみかんの木より、様々な生き物とともに生きるみかんの木。薬に守られ、傷一つないみかんより、病気や害虫の痕を残しながら、それらに負けることなく収穫されたみかんが好きです。生命の力強さを感じたとき、みかんは美しいです。



上妻大希

1988年生まれ。山口県下松市出身。香川県のみかん農家に勤めた後、周防大島に移住しました。小学校の卒業アルバムに「食料自給率」について書いていて、その頃から将来の夢は農業に関わることだったようです。もともと大のみかん好き。自分でやりたいようにみかんをつくるために就農しました。食と農が切り離されており、食が金銭の代替物だとしかとらえられていないことが、食料自給率低下、農地荒廃が打開策を持たない一因だと思います。直売を通じて、畑であったり栽培であったり、天気であったり、土のことであったり、草や虫が少しでも身近な存在になればと願っています。


上妻あかね

1992年生まれ。大阪箕面市出身。親にねだって買ってもらったナスの世話をするのが、友達と遊ぶよりも楽しいような子どもでした。高校では酪農に携わり、その後、援農ボランティアで各地を回りました。そんな中、冬だからみかんを食べに行こうという程度のノリでみかん農家へ。そこでみかんの楽しさに出会い、どっぷりとみかんにつかることになりました。酪農の道からは外れてしまったけれど、恩師とのやりとりは続いており、鶏を飼ったりと生き物の中で暮らすことは続けています。